東西の文化が花開く…
宿場町が生んだ山車文楽と芝居糸からくり
2018.2.26
江戸時代から続く知立神社の祭礼「知立まつり」は、山車の上で山車文楽・からくり人形芝居が上演されるのが特徴で、1年ごとに本祭と間祭が交互に行われます。
本祭(ほんまつり)は、5つの町から高さ7メートル、重さ5トンの5台の山車が繰り出され、台上で人形浄瑠璃芝居の「山車文楽」と「からくり」を披露。間祭(あいまつり)は、5つの町から勇壮華麗な5台の花車が練り歩きます。神舞と呼ばれる囃子にあわせ、家々の軒を圧するように順行するさまは壮麗そのものです。
行く前に見どころをチェック!
- 山車文楽(3人遣いの人形浄瑠璃芝居)
- 人形浄瑠璃は、語りの「太夫(たゆう)」、「三味線」、「人形遣い」がひとつの舞台を作り上げる総合芸術。三味線の低音が響くなか、太夫が多人数の声を演じ分け、3人が人形1体を息を合わせて動かします。これを山車の上で上演するのが、知立の山車文楽であり、他では見られない珍しい特長です。
- 芝居糸からくり
- 知立のからくりは、糸を使ったもので、繊細な動きが特長。その分複雑な仕掛けによる操る人も多く、息の合った技が必要です。他地域の山車は、ある芝居の一場面を切り取ったからくりを行いますが、知立では、一つの芝居を通して上演しています。現在、残っているのは「一の谷合戦」「平治合戦」を上演している西町のみです。
- 担ぎ上げ
- 5輌の山車が宮入りする際、8人の梶棒連が梶棒を肩で担いで山車の後輪を浮かせ、200メートルほど進みます。これは、天保13(1842年)、刈谷藩主が上覧中に、山町の山車の後車輪の車軸が折れてしまい、とっさに梶棒連が梶棒を担ぎあげて神前まで進んだことが藩主の賞讃を得て、以後、各町がこれにならい今日まで続いていると言われています。
<祭りを動かす人たち>
祭りについてアレコレ聞いてみました
知立山車連合保存会 会長 加藤敬三さん
知立山車からくり保存会 会長 坂田盛彦さん
知立山車連合保存会 監事 本多純一さん
知立市教育部文化課長 堀木田純一さん
- なぜ知立の祭りは山車の上で「文楽」「からくり」を行うスタイルなのですか?
- ここ知立は東海道三十九番目の宿場町「池鯉鮒宿」として栄えていました。いろいろな東西の文化の交流の中で生まれ、大阪で生まれた文楽やからくりが行われるのもその影響。「鳴海や足助に文楽の遠征興行に行った」との記録も残っており、興業的にも有名だったのではないでしょうか。神事としてだけでなく昔の人たちの娯楽としても多くの人に楽しまれたものだったと思います。
- 本祭と間祭を交互に行うのはなぜですか?
- 簡単に言えば「祭りにはお金がかかるから」。でもやりたい、では省略してやろうということで毎年開催する代わりに間祭には文楽・からくりを行わないことになりました。
このように知立は領主や地頭などからの寄進がほとんどなかったにもかかわらず、町衆の祭りにかける心意気によって山車が生まれたほど祭り好きばかり。金がなくてもどうにかしようと駆け回る知立の男たち、それだけ熱くさせる魅力が祭りにはあるんですね。私たちも、山車を組む1か月前からワクワクして燃えてくるんです。
- からくりはどうやって動かしていますか?
- 人形1体の内部に10数本の糸がついているんです。それを数メートル後ろから糸を操って操作します。昔は練習しては壊れ、練習しては壊れ…自分たちで修理しますから泣きたいぐらいでした。今の子は覚えるのも早いです。でもからくりはストーリーに合わせて感情を表現するので動かせるだけではまだまだ。その難しさを何年もかけて覚えてさせていきます。
- 他におすすめしたい知立まつりの魅力を教えてください。
- お囃子が面白いです。同じ演目なのに地域ごとに太鼓の刻みの数が違ったりして、それがその地域の特色になっているんですよね。あとは、文楽でいうと三番叟は人気があるけど、せっかく知立に来てくださったなら物語のある演目を見てほしいですね。大まかなストーリーを知っていると、当日はより楽しめると思います。
それから「担ぎ上げ」はやはり知立まつりのメイン。境内に向かって坂を担いでのぼっていくという醍醐味は、ぜひ見ていただきたいですね。