山車まつりとは
地域の人々が災厄防除(さいやくぼうじょ)等を願って行う山車等の巡行を伴う祭礼行事です。まつりに迎えた神の依代(よりしろ)であり、神を囃す(はやす)役割を担う山車等は、各地域の伝統工芸・技術の粋をこらした彫刻・金工・織物等で飾り付けされています。
祭礼にあたり地域の人々は、年間を通じ、山車等の巡行に向けた準備や練習に取組んでおり、これらを通して世代間の交流が盛んに行われることで、地域コミュニティの形成の一端を担っています。
山車とは
古来、神は天から地上へ降りてくる際、高い山や木等を依り代とすると考えられ、山自体を神とする神体山(しんたいさん)も全国各所に存在します。山車はこのような聖なる山への信仰心に基づいたものと言われています。
山車の起源は、祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)の「山」にあるとされ、疫病や天災をもたらす祟る神を慰め、他界へ送り出すために始まったと言われています。応仁の乱(1467 年~1477 年)以降、京文化とともに「山」が各地に伝播し、その地域ごとに工夫・洗練されて独自の山車文化が形成されました。そのため、地域により形態や名称が異なっています。
愛知県の山車の発生は室町時代と言われており、津島天王祭の車楽(だんじり)と熱田天王祭の大山(おおやま)(現在は巡行されていない)が最も古い型式のものとされています。
愛知県に所在する
山車等の種類・特徴
地域によって形状は異なるが、台車形式の曳山が多い。からくり人形を搭載しているものが多くみられる。名古屋の東照宮祭(とうしょうぐうさい)の影響を受けたと考えられるものが多い。形態は「名古屋型」、「犬山型」、「知多型」に大別できる。
名古屋型
- 2層
- 外輪のものが多い
- 人を巻き込まないように格子状の輪掛があるものが多い
- 正面に前棚が付いているものが多い
犬山型
- 3層
- 外輪のものが多い
- 2層・3層には高欄が付いているものが多い
知多型
- 2層
- 内輪のものが多い
- 全体を素木の彫刻で飾り、後部に吹き流しが付けられているものが多い
- 正面の高欄下にも唐破風が出ており、それを屋根同様に4本の丸柱で支え、脇障子が付きテラス状(前壇)になっているものが多い
この他に祭車(さいしゃ)と呼ばれる三輪(前一輪、後二輪)の御所車のような独特の山車形式も存在する。後方に四本柱で構成する枠台を載せ、その真ん中に一本の柱が建つ。そこに横木が三段あり、上から2・4・6と合わせて12個の提灯(十二張)が飾り立てられる。枠台後方には鉦(しょう)・太鼓が据えられる。三重県桑名市で行われている石取祭(いしどりまつり)の影響を受けていると言われている。
祭車(さいしゃ)
平底の船を2艘並べ、横板をわたして連結して設けた屋台の屋根上に、365 個(1年の日数)の提灯を1個ずつ竹の先に吊るして半円形・山形状に飾る。さらにその上の真柱(しんばしら)に1年の月を表す12個の提灯を塔のように重ねている。宵祭(よいまつり)で巡行される。
巻藁船(まきわらぶね)
屋台の上に能人形や梅花等を飾った船。宵祭で巡行された巻藁船の提灯を外し、朝祭で巡行されるものが多い。
車楽船(だんじりぶね)
参考文献
- ① 文化庁文化財部伝統文化課『報道発表「山・鉾・屋台行事」のユネスコ無形文化遺産登録(代表一覧表記載)に向けた再提案について』(2015).
- ② 愛知県高等学校郷土史研究会『歴史散歩23 愛知県の歴史散歩 上 尾張』山川出版社(2005).
- ③ 植木行宣『山・鉾・屋台の祭り』白水社(2001).
- ④ 四日市市立博物館『祭礼・山車・風流 近世都市祭礼の文化史』(1995).
- ⑤ 名古屋市総務局企画部百周年事業推進室『尾張の山車とからくり人形』(1989).
- ⑥ 津島市教育委員会『津島祭』(1994).
- ⑦ 桑名市教育委員会『桑名石取祭総合調査報告書』(2006).
- ⑧ 蟹江町教育委員会『須成祭総合調査報告書』(2009).
- ⑨ 半田市『半田の山車ガイドブック[尾州半田山車絵巻]』(2012).